モノクロ写真はなぜ絶滅しないのか

2024年11月2日

【約 9 分で読める記事です】

フィルム写真がなぜ絶滅しないのかについての記事を以前、書いたことがあります。
あの記事を書きながら「そういえばモノクロ写真も結構特殊だよな」
なんて思ってたんですよね。

フィルムだけでなくデジタルでもモノクロ写真は撮れますが、
意識的に設定しない限り、カラーが標準設定になっているはずです。
「鮮やかな色を撮りたかったのにモノクロしかない!」なんていう状況は
50年前ならまだしも、21世紀にはまず起こりえない。


「カラーフィルム忘れたのね」なんて歌も昔はあったみたいですよ(1974年だってさ)。

ではなぜ、それでもモノクロ写真が撮りたくなるのか。
今日でもモノクロ写真を撮影する写真家が少なからず存在するのか。
テレビや映画のモノクロは、ひっじょーーーーにレアな令和の時代、
モノクロ写真はまだそれよりは割とよく見かける……その理由とは?
その辺をじっくり考えてみました。

色がないから色即是空

モノクロ写真にないもの、。色がないとどういうことが起きるのか。
それを一言で表すと……色即是空です。

色即是空(しきそくぜくう)とは、『般若心経』等にある言葉で、仏教の根本教理といわれる。この世のすべてのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する、という仏教の基本的な教義空即是色と対をなす。「色即是空」の区切りは「色、即是、空」とされる。

(ルーパ)は、宇宙に存在するすべての形ある物質現象を意味し、(シューニャ)は、恒常な実体がないという意味。

すなわち、目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)。仏教の根本的考えは因果性縁起)であり、その原因(因果)が失われれば、たちまち現象(色)は消え去る。

リアルな禅問答。読むほどに分からなくなる……w ということで、順番に説明します。

モノクロはかっこいい

ざっくりしたイメージとして、
モノクロは「かっこいい」とか「おしゃれ」と捉えている人が結構多い。
モノクロが主流だった時代への憧れみたいなものがあるなら、
レトロ感を簡単に醸し出せるモノクロ写真は確かにそう見えるかもしれない。
イマイチな写真もとりあえずモノクロにしてみると良い感じに見えたりするんだよね。
セピア調なんてレトロである上にエモい。最強じゃん。

しかしフィルムの時にも思ったんだが、
技術が進化した結果より現実に即した(見たままの色で)写真が撮れるようになったのに
見たまんまじゃない写真の方が格好良く見えるというのも、皮肉なもんです。

それってつまり、色が邪魔になることがある、ってことですよね。

モノクロは分かりやすい

その点、色をなくしてものの「形」や「明るさ」だけで伝えられるので、
これを見て! という箇所をシンプルに伝えやすいのはモノクロ写真かもしれない。

それに色に影響されずに「明るさ」だけを考えて構図を考えられるので、
撮影の時も、PCで調整するときも、シンプルに考えられる。

デジタル画像はRGBといって赤・緑・青(光の3原色)の組み合わせであらゆる色を表現します。
一方でモノクロで使う色は黒と白、そしてその間にあるいろんな濃さのグレー、これだけ。
色がない分「もの」を表現しやすくて想像力をかき立てるよね。
写真にある種の力強さが増す気がする。
森山大道の「アレ・ブレ・ボケ」みたいに、
ほとんど何も写っていなくても写真として成立しちゃう、
暴力的というか、「これでいいのだ!」みたいな開き直りの精神がモノクロ写真にはあります。


だからこそ自由に写っているものを想像できるし、
全部を写し取ろうとしなくていい。
kashimasaはそういうところがしっくりきてモノクロ写真ばかりを撮るようになった気がします。

モノクロは簡単だ……とは言い切れないかな

「じゃあ、色のことは考えなくていいからモノクロの撮影は簡単だよね!」

……って思いますよね。実は、そうでもないかも知れません。
「かも知れない」というのは、その真髄に辿り着くまでには
えらく奥深い世界が広がっているんです。

例えば、鮮やかな花と瑞々しいその葉っぱを撮影するとします。
カラー写真で撮影するなら、花と葉っぱの色が際立つように
彩度を調整すれば綺麗に狙ったとおりに撮影できますが、
両方ともグレーで表現しないといけないモノクロ写真では、
同じような濃さのグレーに写ってつまらない写真になってしまう可能性が出てきます。

詳細は忘れてしまったのですが、
とある日本映画の著名な監督は、
赤い花をモノクロで表現するために
撮影用の赤い造花を黒く塗って使用したそうです。
赤という色は人間の目に映る濃さよりも
幾分薄くモノクロフィルムでは表現されてしまうらしいんですね。
そういう経験則が、モノクロフィルムを極めるためには必要になってきます。大変。
色のことをひとまず置いといて撮影してもそれなりに楽しいですけどね。

そういう時、モノクロ写真では色付きのフィルターを使って、
花の色を実際より明るく写したり、葉の色が濃くなるようにしたり
結局色のことを考えた作業が必要になるんです。

補色とか美術の授業で習った気がするなぁ。

「この色はモノクロになるとどれくらいの濃さかな?」と
考えながらフィルターワークをするには、ある程度経験も必要ですし、
狙ったとおりの画作りをするのは案外大変なんですよ。

ま、一方でモノクロフィルムの現像処理なんかは
自家現像でやれちゃうくらいなので、その点では
「モノクロは簡単だ」とは言えなくもない……かな。

てか、デジタルでモノクロモードにすればより簡単な。

モノクロは長持ちする

銀塩に限った話ですが。

カラーフィルムが色素で画像を記録するのに対し、
モノクロフィルムは銀粒子が画像を形成します。
色素よりも銀粒子の方が化学的に安定していて、色褪せもない。
だから、モノクロフィルムやモノクロのプリントの方が
長期的に保存するためには適しているとも言われます。

昭和後期のカラー写真より昭和初期のモノクロ写真の方が鮮明だったりするわけですね。

つまり、小説と詩みたいな?

てことで、「モノクロ写真のどんなところが魅力なのか」をつらつらと考えてみました。
想像の余地が多くて自由に解釈できるっていうのが大きいのかなと個人的には思いました。
細かい描写で状況を克明に説明する「小説」のようなカラー写真に対しての、
比喩や最低限の説明で示唆を与える「詩」のような立ち位置がモノクロ写真なんでしょうかね。
だとしたら、今後もモノクロ写真は永久に不滅です! って気がします。w

それでは、kashiamsaでした。