なぜ【フィルム写真】は絶滅しないのか?

2020年6月7日

【約 6 分で読める記事です】

先日久しぶりにフィルムカメラを携えて街撮りしてきました。
たまには外出したいと思って、川越駅前の献血ルームに行く道すがらね。
「ガシャコン」って音を久しぶりに響かせながらシャッターを切りましたよ。
楽しいよねぇ。フィルムで撮ったのはもしかすると今年に入ってから1本目かもしれない。

てことで、今回は「なぜフィルム写真は絶滅しないのか」について考えてみようと思います。
使う人が減ったとはいえ、かしまさのように明確にフィルム写真が好きという人が少なからず存在しているんですよね。
決してフィルム写真好きは変人じゃないんです。
その証拠と言うわけでもないですが、Instagramで「#フィルムカメラ好きと繋がりたい」というタグを検索してみると、実に3.4万件の投稿が集まっています。
他にも「#フイルムカメラ普及委員会」とかいろいろなタグが存在していて、思ったより多くの人がフィルム写真を楽しんでいることが分かります。

「エモい」ってなによ

フィルムカメラ、特に写ルンですでの撮影が好きな若い人がよく使うものとしてメディアにも取り上げられたので、少なくとも聞いたことはあるんじゃないかな、という言葉。
英語のemotion(感情)から来ていて、どうやら「心動かされる、感情を揺さぶられる」という意味が近いようなんですが、
厳密に「エモい」の定義をしようとすればするほどよく分からん、ということになるなぞの単語。

ただ、かしまさが思うには、エモいというのはよく分からんからこそ「エモい」なんです
またかしまさお得意の禅問答が始まりましたが少々お付き合いください。w

写ルンですで撮影した写真は、ご存じのとおりゆるい画になります。
ふわっとした色、柔らかい光、微妙にピンボケしてるようなしてないような曖昧な輪郭。
高性能デジタルカメラで撮影してくっきりと細部まで解像している画像とは違って、
すべてが「なんとなく」写っているような写真。その「なんとなく」が「なんとなく」いい。

それを一言で言うと、エモい

「なんとなく」感を表している言葉なので厳密に定義しようがないんですね。
もしかしたら一人ひとり「エモい」の定義が全然違うかも知れない。

ということで30代のおっさんが解説しても全く説得力がないのかもしれませんが、
「エモい」とはまさに写ルンですで撮った写真のような、なんとなく良い感じのことをよく表している言葉です。
なんとなく良い感じになるのが最高にエモいということは、自分の思ったとおりに加工するよりも、
実際に写ルンですを使った方がよりエモいということになるんだろうか。

不思議ですよね。はっきり写ってない方が感じ取れるものが増えるって。

手作り感

前節で「エモい」を連発しすぎてゲシュタルト崩壊気味です。w
しかし若い人(特に女の子)にフィルムがウケている謎は解明できたっぽいですが、
すべての人が「エモさ」を求めてフィルム写真を撮っているかというと、そうでもない。

フィルム写真だってびっくりするような解像度のものは撮れますよ。ローファイ=フィルム風というわけじゃない。

というところで思い出すのがアナログレコード
写ルンですと同じくらいの時期にこれまた再ブームになりつつあるというニュースを見ました。
ソニーが約30年ぶりにレコード生産を再開したり、こちらも結構なムーヴメントになっているらしいですよ。

レコードといえば再生するときにパチパチ音がしたり針が飛んだりして音が悪いという印象を持たれがちですが、
適正にメンテナンスされたプレーヤーとディスクで再生すれば、
デジタル音源を超えるいい音が楽しめるものなんだそうです。
(実際に体験したことはないのでなんともいえないが……そういう気はする)

デジタルでは切り捨てられる、人間に聞こえない音域の音まで再生している、とか
レコードという「もの」があることの安心感、とか、
愛好家の人たちは曖昧ながらも分かる人には分かる確かな違いに惹かれているようなんですね。

フィルム写真にも全く同じことがいえます
更に付け加えるなら、レコードは聴くものですが写真は自分で撮影するものです。
アナログの良さ(温かみとかいう人もいますね)を楽しみつつ、
メディアを自分で「手作り」しているっていう感じがたまらないんですよねー。

道具としてフィルムカメラがカッコイイ

技術が進歩した結果今のカメラは何でもやってくれちゃう。
結果操作するところはどんどん少なくなって、シンプルな見た目のカメラが最近増えてきたような気がします。

一方で昔のフィルムカメラはなんでもかんでも自分で設定しないといけなかったので
ダイヤルやらレバーやらボタンやら、操作する場所がたくさんあります。
ガチャガチャ操作する感触が好きという人もいるだろうね。
電気を使わずにゼンマイ仕掛けで全部動いてるなんて聞くと、もう、ロマンですよね。w

ノスタルジア

エモさにしても実体があることの安心感にしても、
なぜわざわざ過去のものに回帰する流れがここに来て興ったのかの説明には今ひとつ足りない気がする。
そこでもう少しよく考えてみて思い至ったのがノスタルジアです。
日本語にすれば郷愁、あるいは懐かしさなんていう単語に置き換えられます。

なんで技術的には現代よりも劣っている過去のものが持て囃されるのか、
「あ、これはいい」とそういうものがウケるのか。
それは過去にフィルムカメラの体験があったからに他ならないのではないか、と思います。いわゆる原体験
つまり、フィルム写真が主流だった時代へのノスタルジアです。

フィルム写真を最近になって始めた若い世代のメインボリュームは20代~30代くらい。
生まれ年で言えば1980年代後半~1990年代前半くらいまでに該当する世代のはずです。
1987年生まれのかしまさの体感で、デジタルカメラが当たり前になりつつあったのが高校時代くらいでしたので、
この世代は少なくとも小学生くらいまではフィルムカメラが当たり前に存在していた時代を知っています。
小さい頃のアルバムを開けば、そこにはフィルムで撮られた写真がたくさん残っている。
小さい頃の楽しかった思い出と、その「フィルムならでは」の写り方が綯い交ぜになって、
フィルム写真はエモい、というムーヴメントになっているのかもしれません。

酔っ払った頭でひねり出したかしまさの憶測ですので、どこまで正しいかは保証しかねます。w

結論

いろんな説をこねくり回してきましたが、これだけデジタルカメラの技術が進化しても未だにフィルム写真愛好者が少なからず存在しているということは、
何かしら、フィルム写真にあってデジタル写真にないものが存在しているということに他なりません。
とはいってもフィルムで撮影する人の実数は減っていまして、年々状況は厳しくなっていますが……。

かしまさが本格的にフィルム写真を始めた年に300円で買えた普通のフジのカラーネガが、今や1000円しますからね……世知辛い。

まぁまぁ。
いずれ数が減り続けてついには絶滅してしまう日が来るのかも知れませんが、
それでも、今はフィルム写真をまだ撮ることができます。
撮れるうちに、今撮れるものを撮っておけば後悔しないんじゃないかな?
うまくやれば自分の写真が博物館に展示されたりしてね……!

以上、かしまさでした。